日本共産党 清水ただし

活動報告

【東大阪市 市長市議選挙・市政転換を】

[活動報告]2023/08/29 更新
 これまで自民、公明の推薦を受けて当選してきた東大阪市の野田義和市長が、突如として維新公認で出馬することを表明。裏切りだ、節操がないなどの批判に対して野田氏は、自民、公明、維新にそんなに違いがあるわけではないと述べています。これでは東大阪市政を市民本位に変えることはできません。
 日本共産党も参加する明るい東大阪をつくる会は、前共産府議の内海公仁さんを市長選挙に擁立し、市政転換を掲げてたたかいます。同時に行われる市議選で日本共産党は議席増を目指し奮闘しています。25日、しおた清人市議と街頭宣伝に取り組み、かみの淳一前市議とつどいに取り組みました。(2023/8/26記)
 
 

【ご冥福お祈りします】

[活動報告]2023/08/29 更新
 布川事件の冤罪被害者、桜井昌司さんがお亡くなりになりました。楽天主義を自認され、どんなに苦しい時でも笑顔で前進する。そんな桜井さんにどれだけ励まされたことでしょう。本当にお疲れ様でした。追悼の意を込めて桜井さんのことに触れた私のホームページを添付します。
 
 【辛いときにこそ思い出したい、冤罪被害者の桜井昌司さん。】(2015/8/6記)
 

僕は冤罪被害者である桜井昌司さんが好きだ。「刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」に反対する集会などでお目にかかる中で懇意となり、フェイスブックでも「友達」になり、参考人質疑でも国会へ来ていただいた。桜井さんご自身が楽天主義を自認されているだけあって、とにかく常に明るい。布川事件では連日行われる密室での糾問的な取調べによりなされた「嘘の自白」を証拠とされ、29年間も無実の罪で服役を余儀なくされたのに、だ。青春真っ盛りの時期に30年近くも自由を奪われる絶望を想像することができるだろうか。絶対に無理だ。

昨日、与党と民主・維新の修正により刑訴法改定案が採決されたことについてマスコミの取材を受けた桜井さんは、「記者さん、あんたも盗聴の対象になるんだよ」と答え、冤罪をなくすものではないと語ったそうだ。今一度、刑事司法制度改革の契機が、冤罪をなくすこと、違法な取調べを根絶することにあったことを思い起こす必要があるだろう。

そうそう、桜井さんは歌手でもあるそうだ(今日初めて知った)。自ら国賠訴訟をたたかうだけでなく、全国の冤罪被害者やその家族を支援するために東…奔西走を重ねる桜井さんは、どんな想いをこめて歌っているのだろうか。とても興味が湧いてきた。

この間、衆議院法務委員会で理事会での対応や委員会での質疑に対し、自分なりに努力してきたつもりだ。周りの協力を得ながらとはいえ、ここまで審議を重ねてきたことに対する達成感がまったくないわけではない。しかし、結果として、冤罪被害者のみなさんがこぞって反対してきた法律案の採決を許してしまったことに、悩み落ち込んでいることも事実だ。

そんな思いにかられた時にこそ、桜井さんのことを思い出したくなる。どんなに困難があろうとも、不屈に、前向きに、笑顔で頑張っている桜井さんのことを。そして、自分もさらに努力を重ね、成長していこう。そう考えた一日だった。

【衆院近畿比例候補3県駆ける】

[活動報告]2023/08/29 更新
 穀田恵二衆院議員と4人の衆院近畿比例候補が19日、和歌山、滋賀、奈良の3県を駆け巡り、地元小選挙区候補のみなさんと日本共産党の躍進を訴えました。猛暑にもかかわらず、どこでもたくさん集まってくださりました。引き続き、笑顔と希望を届けていきます。(2023/8/20記)
 

【久しぶりの盆踊りで汗ながす】

[活動報告]2023/08/29 更新
 18日、福島小学校の盆踊りに伺いました。党福島区生活相談所長の山田みのりさんが河内音頭を軽やかなステップで踊っていました。私も見よう見まねでの踊りでしたが、久しぶりにいい汗を流すことができました。準備してくださった地元のみなさんに感謝です。ありがとうございました。(2023/8/18記)
 

【今年も京橋駅空襲被災者慰霊式に参加】

[活動報告]2023/08/16 更新
 今年も宮本岳志衆議院議員と共に、京橋駅空襲被災者慰霊式に参列しました。終戦の前日に激しい空爆によって命を失われた方々を偲び手を合わせ、不戦の誓いをあらたにしたところです。
 戦争は国家同士の戦であっても、犠牲を被るのは常に国民です。今やJR京橋駅職員の半分が平成生まれとなり、歴史の継承が大切だという駅長の挨拶の中の言葉が印象に残りました。
慰霊祭の後はコンコースに移動して、城東区母親大会連絡会のみなさんと赤紙のレプリカを配り平和の訴え。憲法9条にに自衛隊が明記されてしまえば、同18条で禁じた「苦役」とはならず、再び(自衛隊入隊を強制する)召集令状が夫や子どもたちに届かないとも限りません。
 戦後78年間、日本が戦争せず平和な道を歩んでこられたのは、海外での戦争を固く禁じた憲法9条があったからです。平和憲法生かした外交で戦争を防ぐ。それが政治家の一番の使命です。(2023/8/15記)