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2015年4月アーカイブ

このままでいいのか裁判員制度

[活動報告]2015/04/23 更新

4月21日、衆議院法務委員会が開かれ、裁判員法の一部を改正する法律案について質疑に立ちました。法案の内容は、審理期間が著しく長期にわたる裁判については、裁判員制度から除外をしたり、災害地の裁判員候補には呼び出しを行わないとするなど、4点にとどまっています。

裁判員制度は2009年5月に始まり、間もなく6年となりますが、この間、日弁連、自由法曹団などの法律家団体をはじめ、諸団体やメディアなどでも数多くの改善すべき事項が提起されてきました。

これまで約5万6千人の裁判員が公判に参加してきましたが、最近では辞退者が急増。裁判員候補のうち事前に辞退を申し込むひとが64%を超え、期日に欠席する人の割合(いわゆるドタキャン率)も28.5%にのぼっています。最高裁の意識調査でも、「あまり参加したくない」「義務であっても参加したくない」と答えた国民の割合が合わせて87%と、制度施行時から7%も増えています。

上川陽子法務大臣は、裁判員経験者の9割以上が「よい経験をした」と答えていることをもって裁判員制度が順調に機能しているとの認識を示しましたが、私からは、それは裁判終了直後の達成感、満足感、安堵感によるものであり、時間の経過とともに「あの時の判決は正しかったのだろうか」という不安にかられたり、凄惨な証拠がトラウマとなり、健康に不調をもたらしたりする例もあることを示し反論しました。

なぜ、裁判員制度に対する国民の信頼が高まらないのか。そもそも自白偏重ともいえる日本の刑事裁判のあり方は、数多くの冤罪を生みだす役割を果たし、最近でも袴田巌さんの事件に代表されるように、社会問題にもなってきました。裁判員裁判が、推定無罪の原則をつらぬくとともに、国民の社会常識、市民感覚をよりよく反映させ、事実認定を適正化する制度となるよう、抜本的な改善が求められているのであり、今回の改正案はきわてめて不十分だと指摘しました。

死刑もしくは無期懲役になる刑事事件だけを扱うのではなく、民事、行政、労働裁判など、広い分野に市民感覚を取り込むことこそ必要なはずですが、今回の法案にはまったくそうした内容が含まれていません。

「裁判員制度に関する検討会」が提出した報告書によると、公判前整理手続における証拠の全面開示や、犯罪の事実認定と量刑判定を分けて審議する手続き二分化などを求める意見ついては「この場での議論としてはふさわしくないとの意見が多数を占めた」とあり、法案に反映されていないことがわかりました。

私からは「あらためて議事録を読み返したが議論を排除する意見が多数とは言い難い。検討会の座長を除いた10人のうち、何人の委員がこの場で議論することがふさわしくないと言ったのか」とただしたところ、法務省刑事局長が「10人中5人」と答弁しました。

拮抗する意見を「多数」として描き、検討会の論点から排除してきたことを暴露したうえで、このような報告書をもとに、まともな審議などできるのかと詰め寄りました。今後は、参考人を招致して、さらに裁判員制度の見直しについて議論を深める予定です。引き続き頑張ります。

選挙をたたかった仲間のみなさんへ

[活動報告]2015/04/16 更新

【2勝3敗】――負けたら終わりか――

2勝3敗。僕自身の選挙戦での勝敗です。府会議員候補として挑戦したのが2003年のこと。最初の立候補は12年も前なんですね。短期間の候補者活動ではありましたが、若さもあってガムシャラに訴えた記憶があります。ちょうどイラク戦争が開戦した時期と重なり、関西空港二期事業などの大型開発の批判と合わせて、戦争反対をスローガンにがんばりました。定数1の選挙でダブルスコアの敗退は、よく頑張ったという周りの方からの激励も素直に受け止められないほどのショックを僕にもたらしました。選挙には、まぐれや奇跡は絶対に起きない。そう感じた結果でした。【0勝1敗】

次の選挙は2007年です。定数2の福島区で大阪市会議員に挑戦。その2年前には吹田市から住居を移し、本格的な活動に取り組みました。連日寄せられる生活相談に真摯に取り組み、住民運動が沸き起これば、その先頭に立ち、住民を励ますことに努めました。駅頭やスーパー前での定例宣伝も定着させ、「スーパーマン」(いつもスーパーの前にいるから?)のあだ名をいただいたのもこの時期でした。結果、支部や後…援会のみなさんの猛烈な奮闘が実り、16年ぶりに日本共産党の議席を獲得することができたのです。初当選は38歳でした。【1勝1敗】

2010年、市会議員を任期途中で辞職し、参議院大阪選挙区候補としてたたかいました。初の国政選挙です。市議に押し上げてくださった、区民や支持者を裏切る形にもなりますし、ずいぶん悩みました。しかし、国の政治を変えることなしに、住民の暮らしを守ることはできないということを、議会活動を行う中で強い確信にしていましたし、「いま大阪の共産党で一番強いやつは誰や。一番強いやつが出ることが国民への責任でもあるんとちゃうか」という方々の指摘や期待も、僕の背中を押してくれました。必ず当選し、国政の立場から福島区のみなさんの期待に応えたいという決意で臨みました。おりしも民主党ブームの時、みんなの党も絶頂期。当時は定数3でしたが、第6位という結果に、力不足を痛感しました。その直前に行った市議補欠選挙でも、自分の後継者を当選させることができず、あとあと、あの時の選択は間違っていたのではなかったのかと、時折焦燥感にかられたことを思い出します。42歳になっていました。【1勝2敗】

2012年、吉井英勝さんの後を受けて衆議院比例代表近畿ブロックから挑戦。名簿順位3位なら鉄板だと、気の早い友人からは候補者発表と同時に「おめでとう!」とのメールが届いたほどです。早すぎるやろと。しかし、世間は、いや選挙は、決して甘いものではありません。今度は第三極ブームが到来。維新のたすきをかけて駅前に立っているだけで無名の新人が大量に得票し、次々と議席を獲得していく。そんな情勢でした。まさかの落選。もう、議会とは縁がないのかも…。そんな考えも頭をよぎりました。この時だけは、「市会議員を辞めるべきではない」と説得してくれていた妻には、申し訳ない気持ちにもなってしまいました。そのとき、「俺は学生時代サッカー部やった。試合に負けた次の日からグランドを走った。走って、走って、走りまくったんや。せやから清水さんはこれからも、喋って、喋って、喋りまくったらええんや」という知人の言葉に励まされました。44歳の時でした。【1勝3敗】

そして昨年12月、1勝3敗で迎えた突然の総選挙。本格的な自共対決の時代が到来。その前年の都議選、参議院選挙で躍進した余勢をかって日本共産党は大躍進。近畿ブロックでも議席倍増を実現し、清水忠史もついに国政へ送っていただくこととなりました。多くの方々に支えられ、本当に感謝しています。現在は、46歳。日本共産党議員団の一員として、国会活動、選挙活動、大阪を守るたたかいに、努力する日々を送っています。【2勝3敗】

念願かない、国会で活動できるようになったわけですが、僕自身、他の同僚議員同様、もともと議員となることが約束されて入党したわけではありません。赤旗出張所長をはじめ、9年あまり党の勤務員として働かせていただきました。周りに推されて候補者の道を歩んでくることができたわけですが、候補者となったからと言って、私のように頑張れば当選できる選挙区で活動できるひともあれば、勝利の土台を築くために、それこそ長年にわたる粘り強い活動を求められる選挙区で奮闘する方もおられるのです。

僕は、大阪市会議員を辞職して、衆議院議員に当選するまでは、5年近い歳月を要しました。国政選挙で連敗するという辛い経験もしました。絶対に勝たなくてはいけない選挙で負けてしまいました。しかし、挫けずに前を向いて頑張ることができたのは、僕を支え続けてくれる多くの方が党内外にいてくれたことです。そして、勝てなくても、日本共産党の党員として、候補者として、社会を前にすすめているんだという誇りと確信を持ち続けることができたからです。

負けたら終わりではなく、やめたら終わり。勝つまでたたかう。

そんな思いで頑張ってきました。どんなたたかいも、負けたら終わりではありません。やめた瞬間、あきらめた瞬間、確信を失った瞬間に終わってしまうものだと思います。勝つまで頑張るという心の持ちようが、わかりやすく言えば「根性」が、勝って負けてを繰り返した、この間の経験で僕にしみついたのかもしれません。

いっせい地方選挙の前半戦で、大奮闘しながらも、議席に届かなかった仲間のみなさんに、心からの敬意をあらわして、今回の文章をおこしたところです。読んでいただいてありがとうございました。

【4月15日】 清水忠史の今日もおおきに!~落ち着いて見えた?~の巻

[活動報告]2015/04/15 更新

4月15日に開かれた衆議院法務委員会で、裁判所職員定員法について質疑に立ちました。冒頭、上川陽子法務大臣に三権分立にもとづく「司法権の独立」の意味について質問。裁判所は行政から独立して自主性を保つということを確認したうえで、政府が裁判所に対して人件費の削減を目的にした定員合理化計画への協力を求めたことを証拠資料を示して質しました。

今回、最高裁判所では、判事や書記官の定員を増やすものの、成年後見事件や複雑化する少年事件で多忙を極める家裁調査官については増やしていません。国民にとって迅速で公正な裁判を保障するうえで、最高裁判所は政府の定員合理化計画に協力するのではなく、必要な職員を配置せよと迫りました。

また、乳飲み子を抱えた女性の家裁調査官が、希望しない遠隔地への異動を余儀なくされ、週末さえも自宅に戻れない状況を告発。女性が結婚・出産しても、安心して働くことのできる職場にするために希望にこたえるべきだと質したところ、最高裁判所は「最大限努力する」と答弁しました。

いっせい地方選挙前半戦の疲れからか、声にキレと元気がなく、気にしていたのですが、インターネット中継を視聴していた妻からは、「あれくらいでちょうどええんちゃう?いつもより落ち着いて見えたわ」との感想。救われた気持ちになりました。

 

【4月12日】 清水忠史の今日もおおきに~山田みのりさん大健闘~の巻

[活動報告]2015/04/13 更新

12日に投開票された道府県議選で、日本共産党は前回の80議席から111議席に大躍進を果たしました。空白県を克服して全都道府県に議席を得たのは史上初めてです。

大阪府議選では大幅な定数削減のもと3議席の確保に留まりましたが、高槻・島本選挙区で、総選挙時の政党間の力関係を激変させ、民主党に競り勝って宮原威団長を再選させたことの意義は大きいものがあります。

大阪市議選では1議席増の9議席に。此花区で公明党を落として瀬戸一正さんが念願の議席奪還を成し遂げました。大阪市議会では民主党が全滅するなど、全体として維新の会への有権者の期待が持続するもとで、日本共産党は踏みとどまることが出来たのではないでしょうか。

100〜200票差での惜敗もありましたが、精一杯力を尽くしての結果だと捉えたい。候補者、運動員、支援者のみなさんの奮闘に敬意を表したいと思います。

定数2の福島区では、山田みのりさんが大健闘したものの次点となり、大阪市会に押し上げることが叶わず、当選に責任を負うものの一人として期待に応えることができず、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかし、総選挙での清水票を大きく上回って25%の得票率を叩き出したことは、間違いなく胸を張れる成績です。山田みのりさんは、今回の選挙でひと回りもふた回りも大きく成長したと誰もが感じていることでしょう。開票から一夜明けた今朝も、気丈に駅頭に立ち新たな決意を述べていました。

本当にお疲れ様でした。少し休息も取って、気持ち新たに、政治革新運動に踏み出しましょう。僕も精一杯後押ししていきます。

 

さて、昨夜、開票が進む中、山口勝利大阪府委員長、宮本岳志衆議院議員と記者会見に臨みました。出口調査によると、大阪市の廃止・解体の住民投票について賛否が拮抗。「二重行政の解消」「大阪の経済成長」が賛成理由の大部分を占めていることも判明しました。

ならば、私たちは何が二重行政なのか、リニアやカジノで本当に大阪経済が成長するのか、その疑問や要求に噛み合った政策論戦を行う必要があるということです。例えば大阪市内では維新の府議候補が落選しています。福島区でトップで当選した維新市議の得票率も過半数に及びません。党派の垣根を越えた市民共同のチカラでウソとペテンの「都構想」を打ち破る条件と可能性は失われていないということです。

いっせい地方選挙の後半戦も始まります。気を引き締めて、5月17日の住民投票に向けて頑張ります。

【4月8日】 清水忠史の今日もおおきに!~裁判所速記官の養成再開を~の巻

[活動報告]2015/04/07 更新

4月7日、衆議院法務委員会が開かれ、裁判所速記官の養成再開と執務環境の改善を求めて質疑に立ちました。日本の裁判所における速記官制度は、国民の公正・迅速な裁判を受ける権利保障の観点から導入されて以来、法廷における、尋問の客観的かつ正確・公正な記録を作成する専門職として、大規模訴訟や、著名事件などには欠かせない制度として高く評価されてきました。

 しかし、最高裁判所は、証人尋問などを、業者にテープ起こしの依頼を行う「録音反訳方式」に変更することなどを理由に、1997年、裁判所速記官を新しく養成することを停止いたしました。当時852人いた裁判所速記官は、現在約200名となっていますが、日弁連などから裁判所速記官の養成再開を求める意見書が出されています。

 私からは、裁判所速記官の養成を停止した当時の根拠が崩れていること、録音反訳や音声認識ソフトに比べて、裁判所速記官の作成する速記録が優れていることなどを明らかにしました。

 また、裁判所速記官は、数十万円もする米国製の電子速記タイプライターを自費で購入しており、経年劣化し、買い替えの必要性が生じたときの不安をかかえており、最高裁判所に対して、決して個人負担にしてはいけないと強く求めました。

 最高裁判所も、裁判所速記官の執務環境の改善を求める附帯決議を尊重すると答え、上川陽子法務大臣も、裁判所速記官の果たしている役割について、その重要性を認める答弁を行いました。

 私からは、裁判所速記官の養成停止を決めた1997年の最高裁判所裁判官会議での決定にしがみつくのをやめて、裁判所速記官の活用と養成再開を要望しました。傍聴されていた「裁判所速記官制度を守る会」の方は、「私たちを励ます質問をしてくれてありがとうございます。これからの運動の力になります」と感想を述べてくれました。