このままでいいのか裁判員制度
4月21日、衆議院法務委員会が開かれ、裁判員法の一部を改正する法律案について質疑に立ちました。法案の内容は、審理期間が著しく長期にわたる裁判については、裁判員制度から除外をしたり、災害地の裁判員候補には呼び出しを行わないとするなど、4点にとどまっています。
裁判員制度は2009年5月に始まり、間もなく6年となりますが、この間、日弁連、自由法曹団などの法律家団体をはじめ、諸団体やメディアなどでも数多くの改善すべき事項が提起されてきました。
これまで約5万6千人の裁判員が公判に参加してきましたが、最近では辞退者が急増。裁判員候補のうち事前に辞退を申し込むひとが64%を超え、期日に欠席する人の割合(いわゆるドタキャン率)も28.5%にのぼっています。最高裁の意識調査でも、「あまり参加したくない」「義務であっても参加したくない」と答えた国民の割合が合わせて87%と、制度施行時から7%も増えています。
上川陽子法務大臣は、裁判員経験者の9割以上が「よい経験をした」と答えていることをもって裁判員制度が順調に機能しているとの認識を示しましたが、私からは、それは裁判終了直後の達成感、満足感、安堵感によるものであり、時間の経過とともに「あの時の判決は正しかったのだろうか」という不安にかられたり、凄惨な証拠がトラウマとなり、健康に不調をもたらしたりする例もあることを示し反論しました。
なぜ、裁判員制度に対する国民の信頼が高まらないのか。そもそも自白偏重ともいえる日本の刑事裁判のあり方は、数多くの冤罪を生みだす役割を果たし、最近でも袴田巌さんの事件に代表されるように、社会問題にもなってきました。裁判員裁判が、推定無罪の原則をつらぬくとともに、国民の社会常識、市民感覚をよりよく反映させ、事実認定を適正化する制度となるよう、抜本的な改善が求められているのであり、今回の改正案はきわてめて不十分だと指摘しました。
死刑もしくは無期懲役になる刑事事件だけを扱うのではなく、民事、行政、労働裁判など、広い分野に市民感覚を取り込むことこそ必要なはずですが、今回の法案にはまったくそうした内容が含まれていません。
「裁判員制度に関する検討会」が提出した報告書によると、公判前整理手続における証拠の全面開示や、犯罪の事実認定と量刑判定を分けて審議する手続き二分化などを求める意見ついては「この場での議論としてはふさわしくないとの意見が多数を占めた」とあり、法案に反映されていないことがわかりました。
私からは「あらためて議事録を読み返したが議論を排除する意見が多数とは言い難い。検討会の座長を除いた10人のうち、何人の委員がこの場で議論することがふさわしくないと言ったのか」とただしたところ、法務省刑事局長が「10人中5人」と答弁しました。
拮抗する意見を「多数」として描き、検討会の論点から排除してきたことを暴露したうえで、このような報告書をもとに、まともな審議などできるのかと詰め寄りました。今後は、参考人を招致して、さらに裁判員制度の見直しについて議論を深める予定です。引き続き頑張ります。